2026年5月31日に、京都で神社仏閣を巡ってきました。
めちゃめちゃ楽しかったんですけど、帰ってきてから「何がそんなに楽しかったのか」をうまく言語化できなくて。
京都なので歴史に触れられたのが良かった、という言い方もできると思うんですが、たぶん僕が楽しかったのはそこではないんですよね。
もちろん歴史のある場所に行けたこと自体の良さはありますが、現地で説明書きをずっと読んでいたわけでもないし、事前に歴史を調べまくっていたわけでもなくて。
どちらかというと、景色としての美しさとか、その場に立った時のスケール感とか、そういうものにテンションが上がってたのかなと思い、その感触をブログに書き出してみます。
妙心寺の仏殿がめちゃめちゃでかかった
特に印象に残っているのが妙心寺です。仏殿がやけにでかいなって思いました。人のためのサイズではないなというか。

他の寺よりでかい感じがしたんですよね。
それで、なんでこんなに大きく作ったんだろうって考えてました。
権力を示すためとか、信仰の厚さを表すためとか、実際にはいろんな理由があるんだと思います。
でも僕がその場で考えていたのは、「人間ってなんてちっぽけなんだだと感じさせるためだったのかもしれない」ということでした。
歴史を学ぶというより意図を想像していた
今回の京都では、ずっとそんな感じでした。
なんでここに建てたんだろうとか、なんでこの向きなんだろうとか、なんでここからこの景色が見えるようになってるんだろうとか。
例えば妙心寺退蔵院の「元信の庭」。この景色の中で元々ここにあったものがあったのかどうかとか。目に映る岩は全て人が持ってきたのか、元々あった岩があって「この岩にこれ組み合わせたら面白そう」みたいな発想で作っていったのかとか。

どうでもいいっちゃどうでもいいんですけど、なんとなく「明らかに人為的に置かれた岩」と「自然にそこにあったとしてもおかしくない岩」があるように見えたんですよね。
っていうことの正解を知りたいというより、その場で自分なりに考えるのが楽しかったんだと思います。
さらに言うと、こういうことを友人と話しながら共感できたことの楽しさがありました。今回2人じゃなくて3人という人数がまた良かった気がします。
その場で思ったことをちょっと口に出してみた時に、友人Aの回答にさらに友人Bが別の角度から意見を述べる、みたいな流れがすごく楽しかったです。
ここまでの言語化をChatGPTに手伝ってもらった
ChatGPTとの壁打ちでようやくでこれらをようやく言語化できました。
ChatGPTにいろいろ投げてみて、返ってきた回答でピンときたのが、僕は「体験から意味を推測する遊び」をしているんだということです。
確かにその通りだなと。歴史的な背景を学ぶというよりも、なんでこうなってるんだろうをノーヒントで考える会、っていう感じだったんだなと。
さらに「圧倒される体験」をしたかったんじゃないかともChatGPTが推測してました。これも体験から意味を推測する遊びではあるんですが、このでかいのを当時の人間が何人でどれくらいの期間で作ったのかとか、この精細なデザインはどれほどの技術が継承されてきた結果なのかとか、年月や成果物に圧倒される体験でした。
首都圏でこの体験を味わうためのスポット
ここまでの情報を元に、もし首都圏でこの体験をするならどのスポットがおすすめなのかをChatGPTに聞いてみたところ、下記の3つが挙がってきました。
- 建長寺
- 明治神宮
- 三溪園
明治神宮なんてめちゃめちゃ行きやすい場所ですけど、確かに中に入ったことないんですよね。
鎌倉も最近行ってないし、三溪園は本牧のあたりで電車では行きにくいんですけどドライブするのにいい距離です。
今度この辺りに行ってみて、今回の体験の答え合わせをしたいと思います。
最後に
京都旅行の楽しさを言語化したブログを書き上げるまでが地続きのエンタメな感じがしていて、この記事を書き上げるまでも面白かったです。
